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HISTORY=PRESIDENT MESSAGE

鯉江康平とは

代表取締役・クリエイティブ・プロデューサー

鯉江康平(Kohei Koie)


私は、創業(1973年)以来、良き時代も悪き時代も乗り越えて事業発展と社会・人との関わりに尽力し、会社及びスタッフ重視で歩んできました。それは経営ポリシー1)常にフレッシュで、未来をクリエイティブする会社づくりに精進する。2)スタッフの生活向上と未来安定を確立するために精進する。3)取引先との信頼度向上と的確なクリエイティブ活動に精進する。を全うして来たことに他ありません。
ジャナク株式会社は私が創始者と思われていますが、違います。私は名古屋という封建的な地域にあってどのように事業を進めるのかを考えていた折、1974年に大きな負債を受けました。そして当時の役員に対処をお願いしましたが、お前が責任を取れと言われました。私は会社を去り叔父のいるアメリカに行くことを決意し、その旨をスタッフに伝えたところ、私に付いて行きたいと言われました。当時私の年齢は25歳でした。スタッフは8名ほどでしたが、私はアメリカに行くことをあきらめ会社の再建に乗り出すことに決めました。1スタッフであった私は社長はじめ役員を解雇することで再スタートをしようと3,000万円を役員の退職金として会社を買い取り、社名を名古屋広告センター(NAC)と改名しました。当時は高度成長時代でしたから一生懸命働けば何とかなるという安易な考えと、頼まれると嫌と言えなかった自分がそこに居たことも事実です。
業務内容はデザインと版下写植が中心でしたが、1982年企画部を併設。1984年中区武平町通に移転しカメラ部(スタジオ&撮影)を併設させ、トータルワークの制作会社が実現しました。1992年現所在地へ移転を機に社名をジャナク株式会社に改名。NACの前にJA(Japan)が付き、名古屋広告センターから日本広告センターになりJANACとなりました。クライアントや恩師からいつまでも名古屋では大きくなれないぞ!と言われたことも家賃20万円の木造家屋から150万円のビルに移転する要因でした。
その後、すでにコンピュータ化されていましたので1995年中部DTP協会を設立し、DTP時代の先駆者として活動。1998年中部マルチメディアコンソシアムを設立させ、Multimediaから IT時代をリードしてきました。弊社がIT(デジタル)に強いと言われてきたのは、こうした経緯があったからなのです。
更に時代は進み、弊社は紆余曲折(早すぎた海外環境展開)時代を経て、インターネット時代を先取りしたWaiWaiTV事業部を新設し、現在に至っています。幾度となく危機は訪れましたが、先駆的な活動が支えてくれたことも事実です。

私のモットーは「自由」です。
「自」は、みずからと読み「自分」のことです。
「由」は、ユ・ユウ・ユイ・よしと読み「よりどころ/よってきた筋道/言われ/わけ/したがう」ことです。
「自由」は、「他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまうこと。」です。
「わがまま」「勝手」という意味ではありません。
「自らのために自らに従う」という意味です。
自分をごまかすことは自由ではないのです。
自らに正直で、自分の意見をきちんと述べ、それを全うしている人に自由は与えらると信じています。